嫌いなモノへの接し方を考える
さて、今のご時世いろいろなコンテンツで溢れかえっています。
いろいろな文化があるって素敵です
さらに、全人類がそのコンテンツを好んでいたら、さらに素敵でしょう。
でも現実はそうはいかない。
好きな人の数だけ嫌いな人がいる。
仕方がないことです。
ではみんなが円満に好きなモノ楽しむためにはどうすればいいか
今日はひっそりそれを考えてみたいと思います
ではまず今日こんなことを考えることにした出来事について軽く話したいと思います
今日の二時間目は情報の授業でした。
不思議なことに担当の先生は音楽の先生ですが、先生の数も多くはない地方の学校なら仕方ないかもしれません。
その授業中、突然その先生が音楽の1つである「ボーカロイド」と呼ばれるものについて話し始めました。
(正直授業内容とは全く関係がありません)
要約すると、
「生徒がボカロボカロと騒いでいるから、何がいいかと尋ねると『無感情なところ』という返答にゾッとした。ボカロとは一体なんて恐ろしいものだろう」
ということ。
思わずびっくりしすぎて開いた口が塞がりませんでした。
まず最初に考えたのが、「音楽の先生たるものそれでいいのか」ということです。
音楽教師という立場でありながら、一つの音楽を否定するような物言い、偏見を持たせるような説明の仕方。
そしてそれを正直全く関係がない情報の授業で発言するという。
コンテンツそのものを否定することは、そのコンテンツを好きな人をも否定するようなものだろうに。
教師であることを疑わざるを得ませんでした。
この先生はボカロが嫌いなのでしょう。
それは先生の自由なので私はそこには言及しません。
では、ここで嫌いとわざわざ発言する必要があったのか。
今日考えたいのはそこなのです。
嫌いなモノがあるのは仕方がない。
ただ、それを表立って嫌い嫌いと騒いでいては、好きな人はそれを聞いて悲しくなるでしょう。それを聞いた周りもあまりいい思いはしないと思います。
つまり、私が言いたいのは、
嫌いなのは構わないからそれを大声で叫ばないでおこう
ということなのです。
苦手な話を持ってこられた時はそっと苦手だと告げればいい。
時には我慢することだって必要だとは思います
円満にみんなが好きなコンテンツライフを楽しむためには多少の我慢と、
嫌いなものを表立って嫌いだと叫ばず、自重することが大事なのではないかと、
今日の出来事を通して考えました
しかしまあ、難しいですね